2024年1月振り返り

なんじゃこりゃあああああああああああ(ー59970円!!??!!!??)

最初から色々な試行錯誤をしたが、今年のやることはたった1つ

憲法に沿った馬券購入」

大松「憲法がコロコロ変わるから一貫性がないぞ」

 

まあ・・それはそう。1月の反省点としては毎週の振り返りの中で実施したので、今回新たな視点として「理想と現実」の話を。

 

理想=すべてのレースを的中する

方法=全通り買う

現実=全通り買うと大幅なマイナスになるリスクがある。いかに競馬に金を捨てるために生きていると言っても、あまりにも大きな金額になれば、支障はなくとも日々を楽しむことができない。

 

そして1つ問題として上がったのは、目標が目的となっているということである。

 

目標は「全重賞的中する」ことであるが、目的が全レースをただ当てることになってしまっている。先の話のように当てることが目的ならば、予想せず全通りすること以外に正解はない。それだとブログを書いて予想する意味は1ミリもない。「あれ?何をしているんだ?」状態だ。

 

 

本質からズレているので、憲法をよく読み返して確認する。目的はようするに「出走する馬全てのことを精査することが競馬をよく知ることにつながり、レースを楽しむことができる」という発想なわけだ。目的はあくまでもそこで、的中することは「目的」ではない。つまり究極は「外れる」ということは容認していい。大事なのは「予想」を全頭することだ。どうも的中することが目的になって、予想が完全に下の概念になってしまった。シルクロードSは完全に悪い見本になったので忘れないようにする。

はっきり言えばこの買い目は印を放棄して組んだものだ。なぜこうなったかは簡単で、「予想」よりも「的中」が上位概念になってしまっているから。目的と目標が混同され、ただ的中するためだけに馬券を購入している。ただこの買い方も的中という部分だけを目指すなら、人気2頭がくれば外れるわけであり中途半端。つまり予想も的中もどちらの概念にも結び付かない、いわゆる「死んだ馬券」と言える。

 

 

1月の重賞予想から学び取ったことは、明確な『目的』と『ルール』がないことに意味はないということ。そして『目標』はあくまでも理想であり、それを達成できるかどうかに執着してはいけない、ということ。あくまで重要なことは

 

①目的が最重要である

②ルールを守り行動する

③その結果「目標」が達成される

 

である。

最近読んだ本の話。会社で推奨されているこの本

要するに時間と金というものが利益に直結するので、かならずそれらのルールは守らないとダメだぞ、という話。なるほど。というわけで、アバウトだった憲法を見直していく。

 

変更前。上限である一万円というものに対する根拠がないのは問題ではあるが、これ以上の金額を使用した場合において、プラスになりえることがないと判断。ちゃんと予想ができているのか?という話だ。軸馬を選定して、紐馬を精査する、とあるのだから買い目がでたらめに多くなるというのは本質からズレているとも言える。どうしても超えるようなレースでも、自分の中で「順位」をつけて1万円以内の買い目にする、ということは本質からずれていない。何故なら的中することは目標であり、目的は馬の精査なのだから。そして年間予算についても、上限はきっぱり設ける。年間30万円。これは絶対に譲れない。それはなるべく家から出ないように暮らすという目標にも合致。ではもし30万円が尽きてしまったらどうするか?という問いに対しての答えを出すと、

 

リアルマネーでする必要はない

????「受ける必要はない!!」

 

ぶっちゃけわざわざ八代まで行って入金するほどリアルマネーにこだわる理由が1つもない。だってエアーでやっても楽しいならやる意味なくね?そら一攫千金の買い方ならわかるけど、別にそうじゃない俺の買い方でリアルにする意味ってなんだ?

 

改正後憲法

 

つづいて予想面に関しても「時間」のルールを採用する。

 

改正後

いつまでにブログを書く、と明確にしていないことは問題であった。週末にブログを書くのでは遅い。週中に済ませておいて、当日は印の上げ下げと馬券の組み立てのみに集中すべきである。そして、京成杯以後はどうしても「的中しなければならない」という強迫感に苛まれて、正直苦しい中での予想となったが、本来の目的である

これを思い出して「自分らしい」予想をすることを心掛け、1万円で収まるよう的中だけを目指して購入する。ただ的中することは目標であり、外れることは容認する。これは忘れてはいけない。以上!